ローマ教皇庁の緩和ケアに関する国際会議に出席して

平成16年11月11日〜13日、於バチカン

 全日本仏教会から講師委嘱を頂きローマ教皇庁医療司牧評議会第19回国際会議に出席してきた。同会議はバチカン市国にて11月11日から3日間開催され、77ヵ国から758名が参加した。今回のテーマは「緩和ケア」であった。「緩和ケア」は不治の病における苦痛緩和であり、身体的疼痛緩和を準備段階として、「死ぬという苦しみ」に対する宗教的ケアが究極目標となる。従って参加者も、疼痛緩和を専門とする麻酔科医師と、「死ぬという苦しみ」に関わる宗教家が大半であった。

 仏教も釈尊以来「緩和ケア」に関わってきた。四門出遊が示すように、人は老病死を免れることが出来ないという苦しみの緩和として仏教は誕生した。そして、アショーカ王が彼の薬草園の薬を持たせて僧侶を諸国に派遣したことで仏教文化圏が拡大した。僧侶は薬で身体の病を治し、仏教で「死ぬという苦しみ」を緩和したのであった。古くは日本においても、寺院に病院がつくられ、臨終行儀が発達し、看病禅師が活躍した。
 今回の国際会議では司会者5名と講演者33名の計38名が発表を行った。これら38名の国籍は16カ国で、このうち18名が宗教家あった。カトリックの会議だが、他の主な世界宗教から1人ずつ招待され、私は仏教の立場を発表した。発表者の多くはバチカンから歩いてすぐの同じホテルに宿泊し、食事時間等に個人的にも話し合うことが出来た。会議前日の夕食のテーブルで他の講演者2人と同席した。1人は世界保健機関(WHO)緩和ケア担当の公衆衛生学専門の女医、もう1人はイスラムを代表して発表するエジプトのカイロ大学精神科教授だった。2人とも子供が4人いる等、ワインを飲みながら自己紹介や家族の話などをした。
 翌朝の会議場では中央前から3列目の予約席に案内された。会議ではイタリア語、スペイン語、フランス語、英語の4カ国語がイヤフォンで同時通訳された。最初に教皇庁医療司牧評議会議長が挨拶し、予定している会議全体の概略について話した。次いで、コンゴの医療倫理学教授の司会で昨夜夕食を共にしたWHO緩和ケア担当女医の発表があった。世界の緩和ケアの現状に関しての話では、モルヒネ使用量でも日本は先進国中で最下位とのことであった。宗教者の関わりについての現状評価は無かったが、もし日本の現状が評価されていたなら世界中で最低だったかもしれない。自分の命を超えた価値あるものがあったなら、それがその人の宗教といえる。「死ぬという苦しみ」の緩和に役立つものこそが宗教なのだ。しかし、現在日本では「死ぬという苦しみ」の現場である病院の大部分で宗教家は不在である。死にゆく人を前にして、その苦しみを如何にして緩和するかということが「緩和ケア」における宗教家の役割だ。はたして日本の仏教僧侶の何割が、死にゆく人に対面して、その任を果たすことが出来るだろうか。ローマの病院に勤務している神父の話では、彼らは2年間哲学、4年間神学、さらに2年間医療司牧に関する勉強をしてスピリチュアル・ケア・ワーカーの資格を得るという。ほぼ大学院博士課程相当だ。それから病院やホスピスに勤務して先輩から実地指導を受けるのである。医師の場合も、免許を取ってから数年間現場で指導を受けて一人前になる。日本では、まずスピリチュアル・ケア・ワーカーの教育者を育てることから始めなければならない。
 午前中の会議で「緩和ケア」の現状について、それぞれマス・メディア、社会調査、痛みの科学、痛みの治療、そして「緩和ケア」とは何か、という講演があった。午後の会議では、現代世界における緩和ケアの原則について、安楽死について、緩和ケアの法律的側面についての講演がなされた。安楽死の講演をした英国カーディフ大学医学部の副学部長イローラ教授は昼食の際に、日本のFM放送でディスク・ジョッキーをしているピーター・バラカンは従兄弟だと私達に話した。イローラ教授は女性でバロン(男爵)の爵位を受けたバロネスであり、彼女はイギリス国会のEメールアドレスを持っていた。

 会議2日目午前の部の最後に「世界宗教間の対話」が予定されて、私もここで話す予定だった。しかしローマ法王の言葉と謁見が間に入って、宗教間対話は午後に延期された。法王の話の内容は翌日の新聞の一面に載って世界に配信された。そこに法王が振り袖姿の私の娘(聖マリアンナ医大麻酔科医師)と握手している写真が載った。

 私の話は好評だった。キリスト教の知識人が初めて聞く仏教の話は、新鮮で理路整然としていて興味深いのだろう。私の原稿が欲しいという希望も多く、ホームページに載せることにした。
 3日間の会議を終えて、仏教こそが「緩和ケア」に最も有力な宗教だと思った。しかし日本の仏教僧侶は、その仏教を死にゆく人々の為に役立てていない。「宝の持ち腐れ」という言葉は、日本仏教界にこそ相応しい言葉のように思えた。