世界一の日本医療、唯一の欠陥

   「在家佛教」誌2014年3月号の原稿

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  真言宗豊山派西明寺住職・普門院診療所医師 田中雅博


若僧医師

 私は寺に生まれて僧侶になったが、父の勧めで大学は医学部に行った。卒業後は、人の命を預かる臨床医よりも医学の研究者になろうと思った。それで癌の研究所に務めたが、同施設の病院内科医師も併任になった。結局、受け持つ患者さんの殆どが進行癌という特殊な医者となった。
 治すことが出来ない進行癌の患者さんが 、当時二十五才で文字通り若僧医師の私に「死にたくない、死ぬのが怖い」と訴える。これは人間独自の苦であり、どんな薬も効かず、手術で治すこともできない。この苦しみの治療を担当するのは医師では無く僧侶ではないかと思った。実は、これは西洋では、以前は日本でも、当たり前のことだった。

緩和ケア

 十年ほど前、緩和ケアに関するローマ教皇庁国際会議に招待された。会議は三日間で七十七ヵ国から七百五十八名が参加し、実質的には医療に従事している宗教者の勉強会だった。カトリック以外の世界宗教からも一人ずつ招待され、私は仏教の立場を話した。日本では緩和ケアを単なる身体的苦痛緩和と誤解される傾向があるが、鎮痛等は緩和ケアの前座にすぎず、真打はスピリチュアル・ケア、すなわち「死ぬ」という苦の治療だ。WHOでは緩和ケアを「身体的、心理的、そしてにスピリチュアルな苦痛の予防および緩和」であり、「死に至る病で苦しむ患者と家族のQOL(生存の質)を改善する方便」と定義している。

スピリチュアル・ペイン

 死に至る病の過程で、他の動物とは違う人間独自の苦がある。「死ぬ」という、自己存在の喪失に関わる苦であり、これがスピリチュアル・ペインだ。身体の痛みが強いと、痛みに耐えているだけで他に余裕が無く、スピリチュアル・ペインは隠れている。しかしオピオイド(麻薬)の適切な使用等で身体の痛みが無くなるとスピリチュアル・ペインが強く現れてくる。
 自分の命を超えた価値あるものがあったなら、それがその人の宗教といえる。「死ぬという苦」の緩和に役立つものこそが宗教なのだ。しかし、現在日本では人が死ぬ現場の大部分で宗教家が不在だ。
 イタリアの法律では病床一〇〇床ごとに一人、スピリチュアル・ケアワーカーの配置義務がある。哲学等の人もいるが、ほとんどがキリスト教の神父だ。彼らは哲学を二年、神学を四年、さらに医療を二年、計八年勉強してスピリチュアル・ケアワーカーの資格を得るという。ほぼ大学院博士課程相当だ。それから病院等に勤務して先輩から実地指導を受ける。医師の場合と同様、免許を得てから数年間現場で訓練を受けて一人前になる。

仏教とスピリチュアル・ケア

 仏教は、その誕生時からスピリチュアル・ケアであった。釈尊は老人と病人と死人をみて出家した。そして六、七年の後、迷苦から覚醒して仏陀となり、四諦を説かれた。
 四諦の苦・集・滅・道は、それぞれ病気・病因・治癒・治療に対応している。病気は四苦八苦であり、ここで苦は「思い通りにならない」という意味だ。四苦八苦は第八の苦である五取蘊苦に総括される。色、受、想、行、識という五取蘊は「我という執着」の幹からでた五つの枝であり、この五取蘊苦こそがスピリチュアル・ペインだ。集諦は「欲愛・有愛・無有愛の如くの渇愛」と説かれた。「思い通りにしたい」という渇愛から「思い通りにならない」という苦が生ずる。生殖・生存・死への渇愛が苦の根本原因だ。これら生殖・生存・死の三つは現代生物学で生命の三要素だ。人間の設計図である遺伝子に生殖・生存・死の渇愛が書かれているのだろう。遺伝子の支配(輪廻)から解脱して渇愛の制御(涅槃)ができたなら苦は消滅する。この涅槃が治癒すなわち滅諦だ。道諦という治療法は「完全に渇愛を制御して生きる道」だ。
 「我という執着」が完全に無くなった状態を釈尊は「筏の譬喩」で示された。苦の此岸から楽の彼岸に渡ったら筏を捨てる。ここで「筏」は隠喩(メタファー)であり仏教を指し示している。まさにメタ(超えて)ファー(運ぶ)であり、仏教は人々を楽の彼岸に運ぶ筏だ。そして筏は捨てられる。仏教は仏教自身に執着しない。執着しないという教義にも執着しない。
 このような智慧(般若)の完成(波羅蜜多)は到彼岸と詩的に漢訳され、『般若心経』の有名な「五蘊皆空」へと続く。釈尊が四苦八苦を総じた五取蘊苦(スピリチュアル・ペイン)が空虚となる、すなわちスピリチュアル・ケアである。

カルテの宗教欄には菩提寺を書く

 入院したら菩提寺の僧侶に連絡して、お見舞いに来て貰うのがよい。癌の告知などの厳しい時に付き添うなど、そこに僧侶がいるだけで苦が緩和される場面もある。僧侶は、牟尼(沈黙)と呼ばれた釈尊に倣って、苦の緩和に役立つことだけ発言し、他は沈黙する。病院では将来の患者の死亡に備えて、死別悲嘆のケア会議が開かれるが、ここに葬儀を執行する菩提寺の僧侶に出席してもらうとよい。