般若心経の秘密

般若心経はスピリチュアル・ケアの経典

          西明寺住職・普門院診療所医師 田中雅博


  今、癌専門病院に入院中でこれを書いています。進行癌なので、あとどのくらい生きていられるかは不明です。約10年前に、ある出版社の依頼で書いた般若心経の解説ですが、未だに出版されないままになっています。残された時間を、私は般若心経解説の原稿を仕上げることに専念しようと思う。

秘密経典

秘密

 般若心経は秘密経典です。秘密とは「隠すこと」ではありません。お釈迦様も師拳(師が握りしめて隠した奥義)はないと言いました。言葉で教えるのが「難しいこと」、知るのが「難しいこと」を秘密といいます。現在の日常語では、秘密という言葉の本来の意味は失われています。多くの日本語が明治時代に西洋の言葉の翻訳に使われて言葉の意味が変わってしまいました。例えば平等という言葉も、元来「相手を自分と差別しない」という仏陀の智慧を意味しています。しかし西洋自由主義に関する翻訳で、平等という言葉は「競争に参加するチャンスの公平性」という意味で使われるようになりました。しかし元々の意味が日本人の心の底に残っているので、学校の運動会で「差別になるから百メートル競走の順位をつけない」などという誤解も生じています。自由主義では競争させないことこそが差別なのです。

説法の躊躇

 お釈迦様は成道により、不死(死ぬという苦の滅尽)を得ましたが、最初これを説法することに躊躇しました。誰にも理解してもらえないと思ったのです。これが仏陀の秘密です。そこで梵天が説法を勧請しました。梵天はお釈迦様の悲(他者の苦に共感する心)のペルソナでしょう。梵天勧請説話は「耳ある者どもに不死(甘露)の門は開かれた、梵天よ(人は必ず死ぬという真実は)人を苦しめてしまうので説法を躊躇したのだ」と続いています。

真言

 般若心経本文の四分の一は真言についての書かれています。真言が書かれていることは秘密経典の特徴です。仏陀の秘密には身・語・意の三密があります。仏の身体と言葉と心の行いであり、真言は語密に関係します。三密加持という修行を行って、行者は仏の秘密を解釈(追体験)します。行者の三業(身・語・意の行い)を仏の三密にヨーガするので三密瑜伽ともいいます。このとき行者は、印契を結んで仏の身密にヨーガし、真言を唱えて仏の語密にヨーガし、心に仏を観想し仏の意密にヨーガします。

業(行為)

 西洋哲学では「行為」として、古くから「身体で行うこと」のみ注目されてきましたが、東洋ではお釈迦様の時代から「行い」は身体のみならず、言葉と心で行うと考えられてきました。行者の三業には、身業として不殺生・不偸盗・不邪淫、語業として不妄語・不綺語・不両舌・不悪口、意業として不慳貪・不嗔恚・不邪見などがあります。最後の三つは貪・瞋・癡の三毒を避けることです。怒るのは自分の貪りの心が満たされないからなのに、相手が悪いから怒っていると思っている、ということに気づかない愚かさ、これが貪・瞋・癡の三毒です。貪欲が無くなった清浄・瞋恚の熱を冷ます清涼・無癡の闇を照らす智慧の光明、この三義は三毒の対極にある仏の意密です。

般若心経はスピリチュアル・ケアの経典

若僧医師

 私は寺に生まれて僧侶になりましたが、父の勧めで大学は医学部に行きました。卒業後は、人の命を預かる臨床医よりも医学の研究者になろうと思いました。それで癌の研究所に務めたのですが、同施設の病院内科医師も併任になりました。結局、受け持つ患者さんの殆どが進行癌という特殊な医者となったのです。
 治すことが出来ない進行癌の患者さんが 、当時二十五才で文字通り若僧医師の私に「死にたくない、死ぬのが怖い」と訴えます。これは人間独自の苦であり、どんな薬も効かず、手術で治すこともできません。この苦しみの治療を担当するのは医師では無く僧侶ではないかと思いました。実は、これは西洋では、以前は日本でも、当たり前のことだったのです。

緩和ケア

 十年ほど前、緩和ケアに関するローマ教皇庁国際会議に招待されました。会議は三日間で七十七ヵ国から七百五十八名が参加し、実質的には医療に従事している宗教者の勉強会でした。カトリック以外の世界宗教からも一人ずつ招待され、私は仏教の立場を話しました。日本では緩和ケアを単なる身体的苦痛緩和と誤解される傾向がありますが、鎮痛等は緩和ケアの前座にすぎず、真打はスピリチュアル・ケア、すなわち「死ぬ」という苦の治療なのです。WHOでは緩和ケアを「身体的、心理的、そしてにスピリチュアルな苦痛の予防および緩和」であり、「死に至る病で苦しむ患者と家族のQOL(生存の質)を改善するアプローチ(方便)」と定義しています。

スピリチュアル・ペイン

 死に至る病の過程で、他の動物とは違う人間独自の苦があります。「死ぬ」という、自己存在の喪失に関わる苦であり、これがスピリチュアル・ペインです。身体の痛みが強いと、痛みに耐えているだけで他に余裕が無く、スピリチュアル・ペインは隠れています。しかしオピオイド(麻薬)の適切な使用等で身体の 痛みが無くなるとスピリチュアル・ペインが強く現れてきます。
 自分の命を超えた価値あるものがあったなら、それがその人の宗教といえます。「死ぬという苦」の緩和に役立つものこそが宗教なのです。しかし、現在日本では人が死ぬ現場の大部分で宗教家が不在なのです。
 イタリアの法律では病床一〇〇床ごとに一人、スピリチュアル・ケアワーカーの配置義務があります。哲学等の人もいますが、ほとんどがキリスト教の神父です。彼らは哲学を二年、神学を四年、さらに医療を二年、計八年勉強してスピリチュアル・ケアワーカーの資格を得るといいます。ほぼ大学院博士課程相当です。それから病院 等に勤務して先輩から実地指導を受けます。医師の場合と同様、免許を得てから数年間現場で訓練を受けて一人前になるのです。

仏教とスピリチュアル・ケア

 仏教は、その誕生時からスピリチュアル・ケアでした。お釈迦様は老人と病人と死人をみて出家しました。そして六、七年の後、迷苦から覚醒して仏陀となり、四諦を説かれました。
 四諦の苦・集・滅・道は、それぞれ病気・病因・治癒・治療に対応しています。病気は四苦八苦であり、ここで苦は「思い通りにならない」という意味です。四苦八苦は第八の苦である五取蘊苦に総括されています。色、受、想、行、識という五取蘊は「我という執着」の幹からでた五つの枝であり、この五取蘊苦こそがスピリ チュアル・ペインです。集諦は「欲愛・有愛・無有愛の如くの渇愛」と説かれました。「思い通りにしたい」という渇愛から「思い通りにならない」という苦が生ずるのです。生殖・生存・死への渇愛が苦の根本原因です。これら生殖・生存・死の三つは現代生物学で生命の三要素です。人間の設計図である遺伝子に生殖・生存・死の渇愛が書かれているのでしょう。遺伝子の支配(輪廻)から解脱して渇愛の制御(涅槃)ができたなら苦は消滅します。この涅槃が治癒すなわち滅諦です。道諦という治療法は「完全に渇愛を制御して生きる道」です。
 「我という執着」が完全に無くなった状態をお釈迦様は「筏の譬喩」で示されました。苦の此岸から楽の彼岸に渡ったら筏を捨てる。ここで「筏」は隠喩(メタ ファー)であり仏教を指し示しています。まさにメタ(超えて)ファー(運ぶ)であり、仏教は人々を楽の彼岸に運ぶ筏なのです。そして筏は捨てられる。仏教は仏教自身に執着しません。執着しないという教義にも執着しないのです。
 このような智慧(般若)の完成(波羅蜜多)は到彼岸と詩的に漢訳され、『般若心経』の有名な「五蘊皆空」へと繋がります。お釈迦様が四苦八苦を総じた五取蘊苦(スピリチュアル・ペイン)が空虚となる、すなわちスピリチュアル・ケアなのです。

「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」という経題について

仏説

目覚めた人

 『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』という経題の文字のうちで、「説」と「心」と「経」の三つの文字だけは漢字の意味が当てはまります。しかし他の「仏」「摩訶」「般若」「波羅蜜多」の四つの言葉は漢字の持つ意味とは関係がありません。これらは梵語というインドの言葉の音を漢字で表したものです。日本で外来語をカタカナで表すのと似ています。このような言葉を音写語といいます。
 「目覚めた人」という意味の「ブッダ」という梵語の音を漢字に写して「仏陀」と書きます。この「仏陀」を略したのが「仏」です。そして、お釈迦様(別記01:お釈迦様)が歴史上の実在の「仏」です。

 お釈迦様はどのように目覚めたのでしょうか。お釈迦様は、老人と病人と死人と修行者を見て出家しました。これが四門出遊(別記02:四門出遊)の伝説です。老病死という苦がお釈迦様の課題だったのです。お釈迦様は六年間の修行の後、深い禅定において、老病死等の苦の滅尽に目覚めました(別記03:降魔成道)。この目覚めの追体験を般若心経は説いているのです。
 苦の滅尽に目覚めたお釈迦様は、それを人々に説くことに最初は躊躇しました。そのときの様子が梵天勧請(別記04:梵天勧請)説話として伝わっています。
 説法を決意したお釈迦様は、修行者が集まる鹿野苑まで遙々歩いていって、もとの五人の修行仲間に説法しました。お釈迦様の説法は「苦集滅道」の四つの真理(四諦)に纏められています。「苦集滅道」は般若心経の本文中にも出てきますので、詳しくはその部分の解説の際に話すことにして、ここでは般若心経の最初の部分に関連する「苦」についてだけ説明しておきます。
「苦」はお釈迦様の課題でした。「苦」と漢訳された元の「ドゥフカ」という梵語は「思い通りにならない」という意味の言葉です。お釈迦様は思い通りにならないことを「四苦八苦」と説明しました。四苦は「生老病死」の四つの苦です。

 

生まれるという苦

 ここで「生」は生まれるという意味の言葉です。人は本人の思い通りに生まれることは出来ません。芥川龍之介さんの「河童」という小説の世界では、河童の子供は生まれるかどうかについても自己決定権(別記05:自己決定権)が保障されています。以下は小説「河童」から原文通りの引用です。
 けれどもお産をするとなると、父親は電話でもかけるように母親の生殖器に口をつけ、「お前はこの世界へ生まれてくるかどうか、よく考えた上で返事をしろ。」と大きな声で尋ねるのです。---中略---。すると細君の腹の中の子は多少気兼ねでもしているとみえ、こう小声に返事をしました。「僕は生まれたくはありません。第一僕のお父さんの遺伝は精神病だけでもたいへんです。---
 「生」という苦は、ポストゲノム(別記06:ポストゲノム)時代とも呼ばれる現在、生まれに関連して更に新たな苦が生じつつあります。
 ある遺伝子診断に関する研究を倫理委員会で要再審査としました。倫理委員会の通過には全委員の賛成が必要で、一人でも反対票があればその臨床試験は行えません。判断保留とした理由は、血縁者に診断結果を知らせるか否かを、検査を受けた本人の自己決定に委ねるという点でした。はたして自分の遺伝子は自分のものと言えるのだろうか? 同じ遺伝子をもっている家族との共有ではないだろうか。世界保健機構(WHO)の指針(別記07:WHO遺伝医療に関する指針)でも「治療法が有る場合に遺伝的危険性をもっている血縁者に告知をすることは倫理に反しない」としています。この遺伝子診断に関連して、アメリカ合衆国では既に医療保険や雇用での差別の実例が報告されていました。日本でも今後、患者予備軍と遺伝子診断された人の生命保険が心配されます。
 遺伝病に関連する遺伝子の情報が蓄積されつつありますが、遺伝病の子供を持つ両親が次の子供の出生前診断を希望する場合が問題となります。出生前診断は、羊水穿刺や絨毛生検を行って検査します。これらの検査は比較的安全で、また診断の精度も高いようです。
 患者本人のためでなく親や家族や社会のために医療を行うのが優生思想です。芥川さんの小説では「しかし両親の都合ばかり考えているのはおかしいですからね」と河童は言う。河童の世界では「遺伝的義勇隊を募る! 健全なる男女の河童よ! 悪遺伝を撲滅するために不健全なる男女の河童と結婚せよ!」と、優生思想とは逆の立場です。これは一概に愚かな行いとは言えません。不都合な遺伝形質を持つ子供を産まないようにすると、遺伝子の多型性を減らしてしまいます。遺伝子の多型性は進化や種の存続に必要と考えられるので、優生思想には人類の種の存続を危うくしかねない自己矛盾があることになります。遺伝病保因者が子供をもつ権利や生まれるはずだった子供の人権についての配慮も必要です。優生保護法は1996年改正まで(遺伝病でない)ハンセン病の不妊手術をも認可していました。出生前診断が優生思想とは限りませんが、遺伝病撲滅が目的で障害者差別が助長されるという心配もあります。一方で、障害を個性としてとらえようとする社会福祉の新しい動きもあるようです。

五取蘊という苦

 生まれたものは、必ず年老いるか、病気になって、死ぬ。死亡率100%です。ここまでの生老病死が四苦です。さらにお釈迦様は三つの苦を挙げました、憎み合っている人と会わなければならない怨憎会苦、愛する人とも何時の日か別れなければならない愛別離苦、欲しても手に入らない求不得苦です。そして最後に、お釈迦様は、全ての苦を総合した苦として、五取蘊苦を説かれたのです。次のように苦諦は三つの部分から構成されています。

 実に〈苦〉という聖なる真理は次のごとくである。

 生まれも苦、老いも苦、病も苦、死も苦である、憎い人に会うのも苦、愛する人と別れるのも苦、欲するものを得ないことも苦である。

 要約していうならば、自己執着の五つの枝の塊(五取蘊)が苦である。

 般若心経では、般若の智慧が完成すると、この五取蘊が空になります。自分という取(執着)の五つの枝、すなわち色・受・想・行・識という五つの自己執着が空になる。総ての苦を纏めた五取蘊が空になるということは、一切の苦が無くなることになるわけです。

摩訶

偉大な

 「摩訶」「般若」「波羅蜜多」これらの言葉は先に説明したような音写語で、漢字本来の意味とは関係がありません。摩訶はマハーという梵語の発音に近い漢字を当てたもので、「大」を意味します。摩訶不思議と言うときの摩訶です。摩訶衍と音写された大乗を意味するマハーヤーナという言葉がありますが、この言葉も般若経典から使われ始めたようです。
 大般若経六百卷と言うときの「大」は「経」の分量が多いことを表しています。般若心経の場合は分量は少なく、「大」は「偉大な」あるいは「勝れた」を意味します。では、大般若経の場合のように「経」が「大」なのでしょうか。そうであれば「勝れた経」という意味になるでしょう。あるいは「偉大な心」でしょうか。私は「偉大な般若波羅蜜多」と思います。これらについて、次第に「般若」「波羅蜜多」「心」「経」という言葉に関連して説明していきたいと思います。

般若

無分別智

 「般若」はパンニャー(梵語ではプラジニャー)という俗語の音写で「智慧」を意味します。智慧といっても、科学的な知識とは違います。科学という言葉は分科の学という意味で、物事を分けて考える知識です。「分った」という言葉からも分るでしょう。この様な知識を分別智といいます。これに対して、般若の智慧は無分別智といわれます。「分からない」智慧です。分けるのではなく、追体験という解釈による智慧なのです。
 よいものを選ぶことを批判といいます。現代私達は二つの批判方法をもっています。その一つは科学であり、世界規模の間違い探しが基本です。科学は実験や観測で検証可能なことだけを扱います。特に、間違っていることが検証可能であること「反証可能性」が科学の条件です。従って、科学で扱える範囲は「間違っているか否か」という次元に限られます。価値や善悪の問題は「非科学」の領域なのです。
 では反証不可能な非科学の領域では、どのようにして良いものが選ばれるでしょうか。それは、多くの人々によって長い時間をかけて選ばれます。その様にして選ばれたのが古典であり、現在では世界中の言葉に翻訳されて多くの人々に読まれ続けています。古典を研究して如何に生きるかを考えることがヒューマニズムという言葉の原義です。日本語でヒューマニズムは人文学と訳されました。このように、私達は現在、科学と人文学という二つの批判方法をもっているのです。
 非常に長い歴史的な時間を、膨大な数の人々に読まれ、かつ書写され続けているテキストの代表が般若心経です。そこで説かれるのはヨーガの智慧です。ヨーガは心の働きの制御を意味します。他の動物と違って、人間はより良く生きようと努力します。その努力の現れを文化と言います。そしてヨーガはインダス文明以来伝わっている東洋の文化なのです。
 動物は、生殖本能の結果として生まれ、生存本能によって生き、生殖本能によって子供をつくる。これの繰り返しです。そして死の本能があって必ず死にます。お釈迦様の四諦のうちで、苦が生ずる原因という真理(集諦)は、これら生殖と生存と死の本能を説いています。お釈迦様は渇愛と訳される言葉を用いました。喉が渇いたときに水を欲するように、生殖と生存と死の渇愛がある。これらの渇愛を思い通りにしたいと思うから、思い通りにならないこと、すなわち苦が生ずる、と。
 人間は、この生殖と生存と死の循環のみの生き方を離れて、より良く生きようと努力します。より良く生きようとする努力の方向には外と内の二つがあります。自分の置かれた環境を変えようとする外向的文化と、自分自身を良くしようとする内向的文化です。外向的文化の代表は武器であり、内向的文化の代表はヨーガです。モヘンジョダーロやハラッパーなどのインダス文明の遺跡からは武器らしい物は発見されず、ヨーガをする人を彫刻した印章が発掘されています。

波羅蜜多

到彼岸

 「波羅蜜多」はパーラミターという梵語の音写語です。最上や完全を意味するパーラミという言葉に、状態を意味するターがついて、完成という意味です。しかし譬喩的な別の解釈が行われ「度」あるいは「到彼岸」と訳されました。「度」は渡るという意味で、どちらも彼岸に渡ったという意味です。彼の所へという意味のパーラムに、行くという意味のイ、そしてターが付いたものと解釈したようです。これは「筏の譬喩」に基づいた解釈です。般若心経に次いで読まれている般若経典『金剛般若経』の最初にも無執着の菩薩行として「筏の譬喩」(別記08:筏の譬喩)が説かれています。

彼岸法要

 日本では、古くから春分の日と秋分の日の前後に彼岸法要が行われており、お彼岸という言葉は身近になっています。彼岸法要は日本独自の仏教行事で、『日本後記』に「大同元年(八〇六)崇道天皇(早良親王)の為に春秋七日間諸国国分寺の僧に金剛般若経を読ませた」とあるのが最初のようです。四苦八苦の此岸から涅槃という安楽の彼岸に渡るための筏。彼岸に渡ったら筏を捨てる、仏教も捨てる。仏教は仏教自身に執著しない、無執著そのものにも執著しない。菩薩は多数の苦しむ衆生を彼岸に渡したのだが、自分が渡したということに執着しない。そのような般若波羅蜜多が金剛般若経に説かれています。
 桓武天皇は、長岡京造営を妨害したという告げ口を聞いて、 実弟の早良親王を淡路へ流刑にしました。実際は大伴家持が首謀者だったようです。早良親王は無実を訴え続けて食事を取らず、淡路へむかう途中で餓死してしまいました。桓武天皇は讒言で親族を餓死させたという点で『観無量寿経』に説かれている阿闍世王と共通の苦悩を持つことになったのです。お釈迦様の時代、阿闍世は提婆達多の告げ口を聞いて父王を牢に入れて餓死させようとしました。母韋提希夫人の苦悩に答えてお釈迦様が「西に沈む太陽への精神集中」を説いたのが観無量寿経です。太陽が真西に沈む春分・秋分の日に関連しています。阿闍世王の物語は古澤平作(日本精神分析学会初代会長)の阿闍世コンプレックスのもとになりました。
 桓武天皇の時代の暦は「大衍歴」で、唐の玄宗皇帝の指示で一行禅師が大規模な子午線観測を行って作られた暦です。日食を正確に予測可能な優れた暦で、地球の大きさも測定されました。弘法大師は一行禅師の孫弟子になります。
 彼岸法要を始めた誘因として天然痘の大流行がありました。桓武天皇は天然痘の流行を早良親王の怨念と思ったのです。目に見えないものが人を殺していく流行病(はやりやまい)、これを当時の人は鬼(オニ)といい、怨(オン)霊と関連付けたのでした。実際的な天然痘対策として検疫も行われていました。これを担っていたのが嵯峨源氏の渡辺水軍で、渡辺綱の鬼退治の物語も作られました。

心臓

 「心」はフリダヤという梵語の訳語で「心臓」を意味します。「こころ」ではありません。漢字では「心臓」も「こころ」も同じ「心」という文字が使われます。英語でも同じハートという言葉が使われます。しかし梵語では「こころ」をチッタという別の言葉で表します。だから般若心経の「心」は「心臓」であって「こころ」ではありません。般若波羅蜜多の心臓という意味です。
 昔は心臓が何の臓器かとわかっていなかったのです。心臓がポンプだということがわかったのは、ウィリアム・ハーベイの研究『心臓の運動』一六二八年以後です。ガリレオ・ガリレイよりも後です。そこで初めて心臓が血液を送り出すポンプだということがわかったので、それまでは心の臓器だと勘違いされていました。
 般若波羅蜜多の心臓とは何でしょうか。身体の中で大事なところに喩えて、話の重要な部分を「肝心」と表現します。それで、大部の般若経典の肝心を意味するという解説があります。これに対して、弘法大師空海は「心」を「心真言」と解釈しました。フリダヤには心真言という意味があります。大般若経の肝心としては、般若心経には真言を説く部分の比率が多すぎます。270字中の65文字、四分の一を真言に関する記述が占めています。やはり大般若経の肝心とする説明には無理があるようです。

三密

 真言は身・語・意の三密の一つ語密に関係します。ヨーガにおいて、仏の秘密を追体験するために用いる言葉を真言といいます。自分が、そうなりたいと願う理想の自分、その人格を本尊といいます。仏教を含む広い意味でのヨーガの文化では、身体と言葉と「こころ」の行為があります。身体と言葉と「こころ」の総てで理想の本尊になりきるのです。
 まず感情を鎮め呼吸を整えます。感情が静まると呼吸も落ち着きます。感情は自由に調節できませんが、呼吸の方は比較的自由に調節できます。そこで逆に呼吸を静めることによって感情を鎮めていきます。静かにゆっくりと完全に息を吐き出し、呼吸数を減らしていきます。次に、本尊に意識を集中します。意識が本尊に集中しきった状態を禅といいます。さらに精神集中が進み、心の中で本尊のみ光り輝き、自己自身は空虚になった状態を三昧といいます。サマーディという梵語の音写で、定と訳されます。禅と定を合わせて禅定という言葉も使われます。般若の智慧は禅定の智慧であり、その完成が般若波羅蜜多です。
 では、般若心経が説くヨーガの本尊は誰でしょう。般若心経が説いている「心」、すなわち般若心経の最後にある心真言の本尊は誰でしょうか。その本尊の名称こそが「般若波羅蜜多」なのです。プラジニャーもパーラミターも女性名詞であり、般若波羅蜜多菩薩は女性です。般若の智慧を完成した菩薩であり、勝れた菩薩だから「大」をつけて「摩訶般若波羅蜜多」菩薩と呼ばれるのです。それで、最後に説かれる心真言(後述)が、彼岸に渡った一人の女性への呼びかけなのです。

仏説

 「経」はスートラという梵語の訳「経糸(たていと)」で「仏説」を意味します。現代語にも経度・緯度という言葉があります。仏教の経典は、初期には椰子などの植物の葉を紙の代わりに用いた「貝葉」に書かれ、貝葉の二箇所に穴をあけて二本の糸で貫いて保存しました。この経糸に由来し「経」といいます。仏陀の教えを世代を越えて伝えるものです。日本では通常「お経」と呼ばれます。般若心経は本文だけの短い構成ですが、通常「経」には正宗分という本文の前後に序分と流通分がつきます。般若心経にも、正宗分だけの「小本テキスト」に加えて「大本テキスト」があります。序分には信成就・時成就・教主成就・住処成就・衆成就の五成就があり、如是我聞と時と教主と聴衆と場所が書かれています。般若心経「大本テキスト」では「このように私は聞いた。ある時、教主であるお釈迦様は、多くの修行僧と菩薩たちと共に、鷲峯山におられた」と始まります。お釈迦様が深い禅定に入って序分が終わります。続いて正宗分があり、これが般若心経の本文です。続いて流通分では、お釈迦様が禅定から起きて「そのとうりだ」と肯定し、一切の会衆が歓喜して終わります。

「唐三蔵法師玄奘訳」について

7世紀初頭

 ゾロアスター教のササン朝ペルシャ帝国がシリア・エジプトへ侵攻し、キリスト教の東ローマ帝国を脅かしていた頃、そのササン朝ペルシャ帝国を後に滅ぼすことになるイスラム教の開祖ムハンマドが布教を始めた頃、日本書紀では聖徳太子が十七条憲法を制定したとされる頃、中国では隋の暴君煬帝が失墜して戦乱が起こり、やがて唐の第二代皇帝太宗となる李世民は中国統一を目指して戦争を繰り返していました。618年に煬帝が自分の親衛隊に殺害され、李淵は唐を建国しました。そして626年、李世民は皇太子であった兄(李建成)と弟を殺して皇帝に即位しました。
 当時シルクロードを支配していたのは突厥(トゥルク)の大ハーンでした。突厥は隋の離間策によって(583年)東西に分裂していました。太宗皇帝(李世民)は即位早々東突厥に攻められています。このとき長安を防衛していたのは、殺害されて間もない李建成の部下達で、突厥軍の侵攻を止められなかったようです。この時太宗は六騎を引き連れただけで渭水に布陣した突厥軍の前に立ち、突厥の協定違反を責めて追い返したといいます。
 翌627年、年号を貞観(じょうがん)と改め、理想の政治と後世に評価される「貞観の治」が始まりました。玄奘は、このような情勢の中、旅の大半を突厥の保護を受ける形で、貞観元年から翌年の初めまでの間の何時頃か、密かにインドへ向けて出発したようです。

三蔵法師

三蔵

 「三蔵」とは「経蔵」と「律蔵」と「論蔵」の三種のテキストの集合をいいます。「経」については既に説明したように仏陀の説法です。「律」は主に教団の規律を定めたものです。「論」は経を論説したものです。「蔵」は一切の文献を蔵するものという意味で、元々は「かご」という意味の梵語「ピタカ」の訳語です。経蔵と律蔵と論蔵の三蔵を極めた僧侶には「三蔵法師」、略して「三蔵」という尊称が用いられます。
 般若心経を最初に翻訳したのは羅什三蔵です。彼は5世紀の初めに大翻訳事業を行いました。羅什三蔵等の翻訳は旧訳とよばれます。7世紀には玄奘三蔵による大翻訳事業が行われ、これ以後の翻訳を新訳といいます。

玄奘

二つの謎

 玄奘に関して二つの謎があります。生まれた時とインドへ出発した時です。とてつもない業績を残した偉人で沢山の資料があるのに、このような簡単なことが不明であるのはどうしてでしょうか。私は故意に隠したのではないかと思います。生年に関しては、僧侶の資格を得た受験の際の年令が怪しく思えます。玄奘は受験可能な年令に満たない年で試験を受け合格したといいます。玄奘に試験を受けさせる為に不正を行った誰かを庇ったのではないでしょうか。インドへの旅行に関しても、判っていないのは出発した時期と旅行の最初の部分、伊吾(ハミ市)までだけです。唐から西域へ通じる玉門関を出れば伊吾はすぐ近くです。伊吾からは高昌王や大ハーンに護送されての旅行でした。これは出発前からの計画だったのかもしれません。唐と敵対していた西域の最大勢力突厥の力を利用する計画であれば、これに手を貸した誰かを守る必要が生じた可能性があります。それで、旅の最初の部分と出発の時期に関して生涯沈黙したのだと考えれば納得できます。
 伊吾から高昌国(トルファン)に迎えられました。玄奘の旅のパロディ「西遊記」では芭蕉扇の話が出てくる火焔山の近くです。高昌国は漢民族の国家でした。玄奘は高昌国に行きたくなかったけれども、請われて仕方なく行ったとされています。それにしては、その後の話がうまく出来すぎています。高昌国王の麹文泰は玄奘の往復旅費20年分を供与しています。結局は麹文泰が旅のスポンサーになったことになります。ビザンツ(ローマ帝国)金貨と思われる黄金百両、ササン(ペルシャ帝国)銀貨と思われる銀銭三万、絹織物その他の品々、馬三十疋、沙弥四人、手力二十五人を付け、二十四ヵ国に封書と絹織物を用意しました。そして麹文泰は姻戚関係にあった西突厥統葉護可汗(大ハーン)に玄奘を自分の弟だと書いた信書と沢山の贈り物をつけて送り届けたそうです。統葉護可汗は少し後に伯父に毒殺されてしまいますが、玄奘に会った時にはササン朝ペルシャ帝国を撃って隷属させていました。このシルクロード全体を支配していた大ハーンに玄奘はガンダーラまで護送されました。その先々でも悉く各地の王に歓迎され国賓扱いでした。身長180センチの巨漢で比類無き秀才、他を圧倒する玄奘のイメージは西遊記の三蔵法師からは程遠く、悟空と観音菩薩を合わせたような人物ではなかったかと想像されます。

玄奘の名声

 インドで十年以上研鑽し、仏教学の中心であったナーランダーでも玄奘の名声は高まりました。インド中の十八ヵ国の王と一万人のナーランダー僧の前で論説した後、玄奘は多くの経典を持って帰路につきます。象が経典を運び、玄奘は馬に乗り、軍隊の護送付です。当時北インド統一を果たしていたヴァルダーナ朝の戒日王がナーランダーのアッサム王と協力して玄奘の帰路のスポンサーとなりました。途中ホタンから太宗皇帝に手紙を出して充分な人馬による護送を確保しています。
 貞観十九年一月二十四日に玄奘は長安に帰り着きました。太宗皇帝は高句麗遠征に出発の直前でしたが玄奘に会い、還俗して側近でいてほしいと説得しました。玄奘は度重なる太宗の依頼を断り、故郷の少林寺での訳経を願ったそうです。少林寺へ行くことは許されず、皇帝の膝元である長安の慈恩寺で訳経をすることになりました。玄奘は、以後二十年間訳経に専念しました。晩年、658年に西明寺が建造され、玄奘は50名の僧と共に西明寺に移りました。
 玄奘の名声は遠く日本にも伝わっていました。日本では大化の改新の8年後、653年に道昭が遣唐使と共に入唐し、長安で同室に居住して8年間玄奘に師事しました。玄奘は「吾昔往西域。在路飢乏。無村可乞。忽有一沙門手持梨子。与吾食之。吾自啖後氣力日健。今汝是持梨沙門也。」と言ったとのことです。帰国後に道昭は社会福祉事業を始めました。これは当時の僧尼令違反だったのですが、道昭の弟子の行基は更に大規模に民間福祉活動を展開しました。5回に及ぶ朝廷からの取り締まりのお触れにも屈せず、行基の活動には常に千人を越える民衆が協力したといいます。各地に寺を造り、人々は寺で経典を学び、寺を拠点として仏教の実践活動を行ったのです。日本的NGOの原風景とも言われます。(益子西明寺もこの活動の中で創られました)

観自在菩薩

観自在

行者の名前

 「観自在」は般若心経中でヨーガの「行」を行っている行者の名前です。旧訳の羅什訳「摩訶般若波羅蜜大明呪經」では「観世音」と訳されています。
 ここで、玄奘訳の経題では「心」と訳されたフリダヤは、羅什訳では「大明呪」と訳されています。「大明呪」という言葉は般若心経の終わりの方に出てきます。「明」はヴィドヤーで「仏陀の智慧」ですが、これにも「心真言」の意味があります。「呪」はマントラの訳の一つで「真言」の別訳です。「般若波羅蜜」は「般若波羅蜜多」と同じですから、羅什訳でも般若心経の題名は「般若波羅蜜多の心真言」という意味になります。
 羅什は『妙法蓮華経』第二十五普門品、いわゆる『観音経』の内容から、詩的に「観世音」と訳しました。七難等で苦悩を受ける「世間の音声を観察」して皆解脱させるから「観世音」と名づけるのだといいます。「観音」とも訳されます。『観音経』では観世音が三十三に変身して姿を現し、苦しむ者を救うとあることから、三十三観音巡礼札所がつくられました。(益子の西明寺は坂東三十三観音巡礼の第二十番札所です)
 変身した観音を変化観音といい十一面観音や千手観音が有名です。元々の姿を聖観音といいますが、般若心経にあるのは聖観音です。アーリア・アヴァローキテーシヴァラの訳で、アーリヤが「聖」、アヴァローキタが「観」、イーシヴァラが「自在」の意味です。玄奘は言葉の意味に忠実に「観自在」と訳したのです。
 ここでアヴァローキテーシヴァラは男性名詞です。観自在菩薩(観音さま)は男性なのです。これに対して般若プラジニャーは女性名詞です。波羅蜜多パーラミターも女性名詞です。般若波羅蜜多菩薩は女性なのです。

菩薩

菩提薩埵

 仏陀としての目覚めを求めて「行」を行っている人の意味で、「菩提薩埵」の略です。この「菩提薩埵」という言葉は般若心経の後半にあります。「菩提」はボーディの音写で「目覚め」を意味し、最後の真言中を含めて般若心経に三回出てきます。「薩埵」はサットヴァ(あるいは俗語のサッタ)の音写で「命あるもの」を意味します。通常「衆生」と訳されますが、玄奘は「有情」と訳しました。「菩提」は「覚」、「薩埵」は「有情」なので、「菩提薩埵」を「覚有情」ということもあります。
 「菩薩」という音写語は羅什三蔵が最初に使ったようです。菩薩は仏陀と衆生の中間にあります。最初は仏陀になる以前のお釈迦様を意味しました。後に大乗仏教で多くの仏陀が登場すると、それぞれの仏陀になる前の尊称として、将来仏陀になることが確定している者という意味で用いられました。さらに広い意味で、仏陀の目覚めを求めて修行する者全般を指すようになりました。
 しかし通常、菩薩と呼ばれるのは、衆生よりもずっと仏陀に近い者を指します。特に観音菩薩のように固有名詞で用いられる場合には、既に目覚めているのだけれども敢えて此岸に止まり、衆生を彼岸に渡す活動をしている理想の菩薩を意味します。

行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄

行深般若波羅蜜多時

到彼岸に於いて

 観自在菩薩がヨーガの「行」を行っています。この部分の梵語はチャルヤーム・チャラマーノーで、チャルヤームは「行を」、チャラマーノーは「行じつつ」という意味です。前記のようにヨーガは心の働きの制御です。心を本尊に集中して行きます。そして「深般若波羅蜜多時」というのは、精神集中が進んで「深い般若波羅蜜多に到達した時に」という意味です。別の言い方をすれば「智慧が完成して、彼岸に辿り着いた時」という意味になります。漢文では所謂る「て・に・を・は」が解りません。般若心経のこの部分に関しては「波羅蜜多を」なのか「波羅蜜多に於いて」なのか漢訳だけでは区別がつきません。梵文を参照するとパーラミターヤームであり、これは女性・単数・於格なので「波羅蜜多に於いて」であることが解ります。「到彼岸に於いて」という意味です。

唯識

 精神集中において、観ている主観と、観られている客観は、最初は離れています。仏教の伝統的な言葉では、能観と所観といいます。般若の智慧の完成において能観と所観は一致します。能観と所観が一致した状態を唯識ともいいます。玄奘三蔵がインドへ行った直接の動機も、この唯識という「ヨーガの行」に関する研鑽と経典獲得でした。
 「行深般若波羅蜜多時」は観自在菩薩の能観の智慧が般若菩薩の所観の智慧に合一した状態を表しています。

照見五蘊皆空

五取蘊という執着が空っぽ

 「照見」は「観た」という意味ですが、ヨーガの行の完成である到彼岸において観たのです。観ている能観(主観)と観られている所観(客観)が一致した状態です。意識が本尊に集中しきって、心の中で本尊のみ光り輝き、自己自身は空虚になっています(経題の「心」の説明参照)。本尊のみ光り輝き自己自身が空虚になった状態が「照見五蘊皆空」です。五蘊は、「我」「我に所属するもの」という執着の集合です。その要素は色・受・想・行・識の五つの執着です。「我」「我に所属するもの」という執着を我執といいますが、色は自分の身体に対する我執です。そして受・想・行・識は四つの心の働きに対する我執です。これは、お釈迦さまが「一切の苦を総合した苦」として説かれた五取蘊苦です(経題の「仏説」の説明参照)。「一切の苦を総合した苦」が空虚になったということは、一切の苦が消滅したということです。我という執着が無くなったので、他人を自分と差別しない「平等という智慧」を獲得します。

非科学

 このような智慧は科学的知識と違って「話せば分ること」ではありません。単に話を聞いただけでは、自分にこだわらず他人の苦を自身の苦と思えるようにはなれません。前記したように、「秘密」なのです。深いヨーガの行によって追体験する智慧なのです。般若三蔵訳『般若心経』「大本テキスト」には、この後の部分に「若善男子善女人行甚深般若波羅蜜多行時。應觀五蘊性空。」という文が加えられて、具体的な追体験の方法が指示されています。「在家の青年男女がヨーガを行じて深い般若波羅蜜多に到達したいならば、五取蘊が空虚であると観想しなさい」という意味です。そして般若心経の最後に説かれている真言を唱えて、五蘊皆空を体現している理想の本尊大般若波羅蜜多菩薩に精神を集中するのです。
 般若三蔵訳「大本テキスト」で追加されている部分には「五蘊性空」とあり、その前の部分では「五蘊皆空」となっています。「小本テキスト」玄奘訳も「五蘊皆空」です。実は、「性空」も「皆空」も同じ梵文の翻訳です。詳しく書くと「そして、それら(五蘊)を、自性空であると見た」というような意味になります。ここに「自性」という仏教用語を使いました。ここでは、「自性」とは能観と所観が一致した真実の姿というような意味です。そして「五取蘊が空虚となった存在」を「空性」といい、般若心経でこの後の部分に出てくる「空」という言葉は全てこの「空性」を略したものです。(別記09:「空点の秘密」について 梵字般若心経で空を説く部分に肝心の空点が欠如している秘密)

度一切苦厄

五蘊皆空の説明

 「度一切苦厄」という言葉は般若心経の梵文テキストにはありません。羅什三蔵が翻訳する際に「度一切苦厄」を付け加えたようです。玄奘三蔵も「度一切苦厄」を付け加えました。(般若三蔵も同じ意味の「離諸苦厄」を加えました。)
 般若心経の翻訳で「度一切苦厄」以外には付加された言葉はありません。何故「度一切苦厄」を追加したのでしょうか。「度一切苦厄」は「五蘊皆空」の説明になっています。「五蘊」というのは、お釈迦様が説かれた「一切苦厄」ですから、五蘊という我執が「空っぽ」になったということは、一切の苦厄が消滅して涅槃、すなわち彼岸に渡ったということですよ、と説明を加えたのです。「度」は「渡る」という意味です。
 玄奘三蔵も羅什三蔵も「五蘊皆空」が間違って解釈されるのを嫌ったのではないか、と私は思います。お釈迦様以後、仏教は大きく展開して、五蘊という言葉も種々に解釈されました。例えば「色」という言葉は、眼で見る対象を意味し、広い意味では物質全般を意味します。物質は全て空であるなどと観想しても、苦の滅尽には役に立ちません。お釈迦様は、苦の滅尽に導かないこと(これを戯論という)には沈黙されました。ここで「色」は「自分の身体に対する我執」であると解釈することによって初めて行者を苦の滅尽に導きます。五蘊は我執であり、我執を捨てた状態が苦の滅尽です。筏の譬喩では、四苦八苦の此岸から涅槃の彼岸に渡った状態です。「彼岸に渡ったら筏を捨てる」という喩えで、一切の執着を捨てることを指し示しています。彼岸に於いては仏法さえも捨てられます(無苦集滅道)。「執着しない」ということ自身にも執着しないのです。

舎利子、色不異空、空不異色、色即是空、空即是色、受想行識亦復如是

舎利子

「ここ」はどこ

 「舎利弗よ、ここでは」と訳しておきます。この部分の梵文はイハ・シャーリプトラです。イハは「ここで」という意味です。「ここ」とはどこでしょうか、此岸でしょうか、彼岸でしょうか。私は彼岸だと思います。「般若波羅蜜多に於いて五蘊皆空を観た」という文章の続きですから、「ここで」は「般若波羅蜜多に於いて」でなければ話が繋がりません。だから「ここで」は「到彼岸に於いて」という意味なのです。この世の日常の話ではなく、ヨーガの深い精神集中が完成した理想の状態での話です。

舎利弗

 「舍利子」はお釈迦様の弟子の名前シャーリプトラです。シャーリプトラは「舎利弗」と音写されます。シャーリという名の女性の子という意味です。シャーリは鳥の種類で日本では九官鳥といいます。九官という名前の人が、自分の名前を呼ばせて、日本にこの鳥を紹介したのだそうです。玄奘三蔵はここでシャーリだけを音写して「舍利」、プトラは意訳して「子」と訳しています。舍利子はお釈迦様よりも年上です。お釈迦様の最初の説法で五人の修行者が順番に理解して仏弟子になりました。その五番目の弟子アッサジに会った舍利子は、お釈迦様の説法についてアッサジに質問しました。そしてお釈迦様が「不死」に目覚めたと確信し、友人の目蓮と共に二百五十人の弟子を引き連れて仏弟子となりました。このとき舍利子が聴いたアッサジの言葉は「諸法従因縁、如来説是因、彼法因縁滅、是大沙門説」でした。「物事は原因から生じ、その原因を、そしてその滅尽をも、私の師は説く」というような内容です。お釈迦様は苦の原因と滅尽を説かれたのです。般若心経でも「苦の滅尽」(すなわち度一切苦厄)として「五蘊皆空」を観自在菩薩が舍利子に説明しています。以下「五蘊皆空」の説明が続きます。

色不異空、空不異色、色即是空、空即是色

彼岸に於いて色は空性に異ならず

 主観と客観が離れているこの世の日常では、「色」は分別されて「空性」とは異なります。ヨーガの智慧が完成して能観と所観が一致した無分別智の状態で、初めて「色」は「空性」に一致します。此岸に於いては「色」は「空性」ではありません。彼岸に於いて「色」は「空性」となるのです。ここで「空性」というのは、前記(五蘊皆空のページ)のように「五取蘊が空虚となった存在」という意味の言葉です。「空性」はシューニャターという名詞で、通常「空」と訳されるシューニャーンという形容詞ではありません。「到彼岸に於いては、色は空性に異ならず、空性は色に異ならず、色は即ち空性であり、空性は即ち色である」と書いてあるのです。色が空性であることを別の表現で二回繰り返していますが、梵文般若心経では三回の繰り返しになっています。「色は空性であり、空性は色である。色は空性に異ならず、空性は色に異ならず。そうであるところの色がその空性であり、そうであるところの空性がその色なのである。」 三回の繰り返しには「空・化・中」という意味があるとの指摘もありますが、私にはそれほど重要とは思えません。玄奘三蔵も三回の繰り返しに意味を認めなかったので二回に短縮したのでしょう。

受想行識亦復如是

受想行識も到彼岸では空性

 「色」以外の五取蘊の要素「受想行識」も同様に、到彼岸において「空性」に一致します。「我・我に所属するもの」という我執の身体的要素は「色」ですが、精神的な要素は「受想行識」の四つです。「受」は感受、「想」は表象、「識」は認識、「行」はその他の精神作用で意思等に相当します。「受想行識」の各々について到彼岸においては「空性」であることを説いています。
 デカルトの「我思う、故に我あり」の論理学的誤謬を証明したギルバート・ライルの範疇誤謬(後のページの「我思う、故に我有り」の範疇誤謬を参照)は、お釈迦様の論法と共通しています。お釈迦様は「色は自分(我)のものであるか?」と問います。もし「自分に所属するもの」であれば、自分の思い通りになるはず。しかし自分の(と思っている)この身体(色)は無常な(老いて病んで死ぬ)ものです。無常であることは思い通りになりません(苦)。だから色は我がものではありません。「受想行識」も無常であり、「我に所属するもの」ではありません。
 般若心経のこの部分では、「色受想行識」という五取蘊の各要素について「空性」に一致することを二回繰り返して説いていることになります。繰り返しに意味があるとすれば、五取蘊の他に「空性」と異なる「我」など無い、ということを示しているのだと私は思います。五取蘊には生・滅があります。生・滅は「我」の思い通りになりませんから、五取蘊は「我に属するもの」ではありません。では「空性」はどうでしょうか。これが次の段に「空性」は不生・不滅と説かれる理由です。到彼岸における「空性」こそが「我の実体」(別記10:「実体と実存」について)なのです。

舎利子、是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減

舎利子、是諸法空相

舍利弗よ、ここ彼岸に於いては

 「舎利子、是」までが「舍利弗よ、ここ彼岸に於いては」という意味です。梵文は再びイハ・シャーリプトラです。
 次の「諸法」は「一切の法」です。ここで「法」というのは「我執」の要素を分析したもので、実質的には「五取蘊」を意味します。「空相」は梵文を参照すると「空性の相」であり、「空性という様相」という意味になります。ヨーガの完成状態では、我執を分析した要素の一切は空性という姿をしているのです。

不生不滅、不垢不浄、不増不減

不生不滅なものは空性

 「不生不滅」なるものは「空性」です。この世の日常では「五取蘊」は生滅します。「空性」という理想の状態が不生不滅なのです。仏陀の智慧で我執が空虚となった存在である空性は、不生不滅、不垢不浄、不増不減という理想の状態にあります。
 不生は梵語でアヌットパンナーですが、その最初の「ア」が「不」という否定の意味の接頭語です。不生不滅、不垢不浄、不増不減という場合の「不」です。真言密教には、この「ア」という梵字を書いた掛け軸を本尊とするヨーガ(瞑想法)が伝わっていて、阿字観法(別記11:「阿字観」について)あるいは略して阿字観といいます。

 「ア」という否定の接頭語は梵語のみならず他の西洋の言葉にもあります。例えば原子を意味するアトムという言葉は、ギリシャ語で切るという意味のトームに否定のアが付いて、これ以上切れないという意味でした。
 「ア」という否定の働きは意識の特徴です。お釈迦様は問います、「色は我であるか?」「否」、「受は我であるか?」「否」。では「ア」が我なのでしょうか?。「ア」は「ア」自身の否定でもあります。さらに「ア」はアルファベットの最初であり、五十音の最初でもあります。このような「ア」字は本初不生と表現されます。阿字観では「ア」字に精神を集中し、深い般若波羅蜜多に到って空性を観るのです。

是故空中、無色、無受想行識、無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法、無眼界乃至無意識界

是故空中

それ故に舍利弗よ、空性に於いては

 「是故空中」の梵文は「それ故に舎利弗よ、空性に於いては」という意味です。我執の要素を分析した「法」が、それぞれ空性に於いて無であるという説明が続きます。先ず「無色、無受想行識」と、空性において五取蘊が無いことを再確認しています。
 次に「無眼耳鼻舌身意」と、六つの知覚能力についても我執が無いと説明しています。無眼耳鼻舌身意という六つの知覚能力を「六根」といいます。眼根が視覚、耳根が聴覚、鼻根が嗅覚、舌根が味覚、身根が触覚、そして意根は前の五根によって得たものを知る能力です。富士山を登る時などに「六根清浄」という掛け声を聞いたことは無いでしょうか。六根清浄が訛って「どっこいしょ」という掛け声になったという話も聞きます。「清浄」というのは我執を無くした状態のことです。清浄な心を「信心」といいます。
 次に「無色声香味触法」と、六つの知覚の対象についても我執がないことを説明しています。色声香味触法という六つの知覚の対象を「六境」といいます。色境が眼根の対象、声境が耳根の対象、香境が鼻根の対象、味境が舌根の対象、触境が身根の対象、そして法境が意根の対象です。
 六根と六境による六種の認識を六識といい、それぞれ眼識、耳識、鼻識、舌識、身識および意識です。六根と六境と六識のそれぞれを界といい、全部で十八界です。次の「無眼界乃至無意識界」は眼根から意識までの十八界についての言及であると通常説明されています。しかし六根と六境については既に言及しているので繰り返す理由がありません。法隆寺梵本では「無眼界乃至無意界」のようです。ここでの眼界と意界は眼根と意根の意味ではなく、眼識と意識の意味だと思われます。すると「無眼界乃至無意識界」は眼識から意識までの六識について、空性に於いては我執が無いと言っているのだと理解されます。
 この部分全体では「それ故に舎利子よ、空性に於いては、五取蘊そして十八界のどれについても我執が無い」という意味になります。

無無明亦無無明尽、乃至無老死亦無老死尽、無苦集滅道、無智亦無得、依無所得故

無無明亦無無明尽、乃至無老死亦無老死尽

彼岸に渡ったら筏を捨てる

 お釈迦様が成道で得た「縁起の法」にさえ、空性に於いては無執着であることを説いています。これはお釈迦様が「筏の譬喩」で示されました。彼岸に渡ったら筏を捨てる様に、お釈迦様の法も捨てるのです。
 「縁起の法」は「葦束の譬喩」で示されます。「二つの葦束は相依って立つ、一方を取れば他方も倒れる」という譬えで、一方だけでは存在し得ない相互依存の関係を示しています。お釈迦様は「苦」の縁起を考察して「渇愛」に辿り着き、さらに「無明」に至りました。
 「渇愛」に縁って「取」(執着)がある、「取」に縁って「苦」がある。これが縁起の法の基本です。「渇愛」というのは、「喉が渇いたときに水を欲する様な欲望」という意味です。お釈迦様は、生殖に関する渇愛、生存に関する渇愛、そして死に関する渇愛の三つの如くの渇愛であると説かれました。それぞれ欲愛、有愛、無有愛といいます。生殖と生存と死は、現代生物学において生物である為の条件とされています。
 「取」と「苦」の縁起は、お釈迦様が四苦八苦の纏めとして五取蘊を説いたことからも理解できるでしょう。縁起の法では、「老死・生・有・取」と分けて説明されます。何に縁って「老死」等の苦はあるのだろうか、「生」(生まれ)に縁って「老死」等の苦がある。何に縁って「生」があるのだろうか、「有」(生存)に縁って「生」がある。何に縁って「有」があるのだろうか、「取」(執着)に縁って「有」がある。
 では「取」は何に縁ってあるのだろうか、「渇愛」に縁って「取」がある。結局、思いどおりにしたいという「渇愛」に縁って、思い通りにならないという「苦」が有ることになります。ここまでが「老死・生・有・取・渇愛」の五支から成る渇愛縁起の説明です。
 更に「老死・生・有・取・渇愛・受・触・六処・名色・識・行・無明」の十二支から成る縁起があります。ここで「無明」は無智の状態にある我執に満ちた邪心です。この「無明」に縁って、こころの深層の動きとしての「行」が起こります。そして、「行」と「識」(六識)、「識」と「名色」(六境)、「名色」と「六処」(六根)、「六処」と「触」(六識・六境・六根の接触)、「触」と「受」(苦楽等の感受)、「受」と「渇愛」が、それぞれ葦束の譬えで示されるような縁起の関係にあります。
 相依って立つ二つの葦束の一方が倒れると他方も倒れる様に、「無明」が滅し尽きると「行」が尽き、「識」「名色」「六処」「触」「受」「渇愛」が尽きる。「渇愛」が尽きれば「取」「有」「生」「老死」が尽きる。これが苦の滅尽の縁起です。
 このような十二支縁起の各支とその滅尽についても、般若波羅蜜多に於いては我執が無いというのが「無無明亦無無明尽、乃至無老死亦無老死尽」の意味です。
 蛇足ですが、漢訳で無「無明」亦無「無明尽」のところは梵文般若心経では無「明」無「無明」亦無「明尽」無「無明尽」となっています。「明」と「明尽」は十二支縁起に無いから不必要です。それで玄奘三蔵他の漢訳者は「無明」と「無明尽」にだけ言及したのかもしれません。あるいは漢訳の際に用いた梵文が現存のものと違って、最初から「明」と「明尽」の項が無かった可能性もあります。明とか無明というのは分別智での話です。無分別智に於いては「明」も「無明」も無いので、無「明」無「無明」等も間違いではありません。

無苦集滅道

四つの真理も彼岸に於いては捨てられる

 お釈迦様の説法を纏めたものが「苦集滅道」の四諦です。「諦」は「真理」で、般若心経の終わりの方に「真実不虚故」と出てくる「真実」と同じ梵語です。四諦は四つの真理で、苦諦、集諦、滅諦、道諦の四つです。
 苦諦は「苦しみ」という真理で四苦八苦です。四苦八苦については既に説明しました(「仏説」の項参照)が、ここで「苦」と漢訳された梵語は「思い通りにならない」という意味の言葉です。
 集諦は「じったい」と読みます。「集」と訳された梵語は、集まるという意味もありますが、ここでは「生じる」という意味です。集諦は「苦が生じる」という真理です。お釈迦様は「思い通りにならない」という苦は「思い通りにしたい」という渇愛から生まれると説きました。「思い通りにしたい」という欲望は、喉が渇いたときに水を欲するような、「渇愛」という言葉で表現されます。苦が生ずる原因は欲愛・有愛・無有愛の三つの如くの渇愛である(前記「渇愛縁起」参照)と、お釈迦様は説かれました。
 滅諦は「苦の滅尽」という真理で、これが「涅槃」です。苦の生ずる原因である渇愛が完全に制御された状態で「無執着(アナーラヤ)」であると説かれました。
 道諦は「苦の滅尽への道」という真理で「八正道」です。「正」と漢訳された梵語は、般若心経の後半に出てくる「三藐」と音写された言葉で「完全に」という意味です。正誤や善悪に関して「正しい」という言葉ではありません。「完全に渇愛を制御する道」という意味で、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の八支からなるヨーガです。最初の正見は「完全に理解する」という意味で、四諦を直観的に明瞭に見る「見道」です。そして思(決意)、語(言葉)、業(行為)、命(生活)、精進(努力)、念(四念)と完全に渇愛を制御し、最後の正定(「定」に関して前記「心」の項参照)で渇愛の制御を完成します。これが「見道」であり、最初の正見の意味でもあります。このように八正道は循環構造になっていて、渇愛を制御するヨーガを一生続ける生き方です。
 この四諦を聴いて理解した(すなわち目覚めた)修行者は、お釈迦様に授戒を願い出て弟子になります。このような弟子の集団が僧伽(サンガ、僧侶の集団)です。
 般若波羅蜜多に於いては、お釈迦様自身が筏の譬喩で示されたように、「法」も捨てられます。到彼岸に於いては、お釈迦様が説いた「苦集滅道」にも執着しない、というのが「無苦集滅道」の意味なのです。

無智亦無得、依無所得故

空性という無所得無執着の存在である故に

 十二支縁起、四諦に続いて、ここでは「智と得」にも無執着であることが説かれています。十二支縁起に目覚める、あるいは四諦を聞いて目覚める、という場合の能観の智慧が「智」であり、所観の得た智慧が「得」です。能観所観が一致した無分別智では、智と得の分別もありません。覚と迷の分別も分別智での話です。彼岸に渡った無分別智の側から観れば覚も迷もありません。「得」と「所得」とは同じ梵語の漢訳で「達成、獲得」というような意味です。煩悩と結びつけている縄にも喩えられます。そして「無得」、「無所得」は得に関する無執着です。実践に関わる無執着であり、得の縄から解き放たれた、なにものにも執着しない自由な境地を意味しています。
 この「無智亦無得」も前から続く「是故空中」での話です。「それ故に舎利子よ、空性に於いては、五取蘊、十八界、十二支縁起、四諦に執着が無く、そして智と得という執着も無い」と続いているのです。そして「依無所得故」と後の文に続きます。ここまで詳しく説かれた無執着が「無所得」という言葉に纏められています。「無所得」という名詞であり、「無所得なる存在」というような意味で「空性」という自分自身の理想の姿を示しています。「空性という無所得無執着の存在である故に」という意味になります。

菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顚倒夢想、究竟涅槃、三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提

菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顚倒夢想、究竟涅槃

こころが自由自在

 「菩提薩埵」は菩薩です(前記参照)。文脈から、ここでの菩提薩埵は、狭い意味では観自在菩薩です。しかし広い意味では、観自在菩薩を例に挙げて、菩提(目覚め)を求めて修行する者一般を指し示しているのです。「菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙」の部分は、原文では「菩薩にとって、心無罣礙に住するに、般若波羅蜜多を依り所とする」と書かれています。「菩薩は般若波羅蜜多を依り所として心無罣礙に住する」という意味です。「心無罣礙」の「心」はチッタという梵語で「こころ」を意味し、心臓とは区別されます。「無罣礙」は無碍ともいって、無所得無執着の実践的行為が自由自在で碍(さまたげ)が無い状態です。「心無罣礙」で「こころが自由自在である」というような意味になります。

ネバーエンディング・ストーリー

 次の「無罣礙故」の部分は、原文では「こころが無碍である存在だから」と書かれています。「無有恐怖」は「恐れが無く」という意味です。お釈迦様は修行中、屍体が置いてある墓場で夜中にヨーガの修行をしていました。クジャクが動く音がして恐怖が襲ってきましたが、お釈迦様は恐怖を制御することが出来ました。夜に一人で墓場に行ったりするのは怖いことです。「怖いと思わなければ良い」と思うと、益々怖くなってしまいます。このような現象を心理学で自己成就予言といいます。心の働きの制御であるヨーガを特に専門とする瑜伽(ヨーガ)行唯識派という仏教学派があって、その祖は弥勒菩薩とされています。弥勒菩薩が出てくる経典に『華厳経』があります。映画化されたミヒャエル・エンデ作の児童小説『ネバーエンディング・ストーリー』は『華厳経』を基にしたようです。弥勒(マイトレーヤ)菩薩をモデルにしたと思われる主人公のアトレーユは恐怖を制御して「南の門」を通り抜けます。「南の門」を通り抜けるのは簡単です。怖いと思わなければいいのです。しかし怖いと思うと、スフィンクスの眼から光線が発射されて殺されてしまいます。それまで誰一人「南の門」を通り抜けた人は無かったのです。ヨーガは「心の働きの制御」であり、その完成が般若波羅蜜多です。般若波羅蜜多に於いては恐怖も制御できて自由自在なのです。

有為の奥山今日超えて

 「遠離一切顚倒夢想」は「循環を遠く離れて」という意味で、輪廻の苦から涅槃の彼岸に渡ることを指し示しています。それで「究竟涅槃」と続くのです。「一切」と「夢想」に直接対応する言葉は原文には無いようですが「一切顚倒夢想」で輪廻の苦を表しでいます。「夢想」に関連して、「いろは歌」の「有為の奥山今日超えて、浅き夢見じ酔ひもせず」が連想されます。ここで有為は、安楽である涅槃を意味する無為以外の一切苦を表しています。
 「究竟」は究極の最終目標に到達するという意味で、「究竟涅槃」は到彼岸です。空性という無所得無執着の存在である故に、菩薩は般若波羅蜜多を依り所として、こころは無碍自由自在です。こころが無碍である存在だから、恐れは無く、一切の苦を離れて涅槃すなわち彼岸に至ります。

三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提

無上正等正覚を現等覚された

 「三世」は過去・現在・未来の三世です。「三世諸仏」の原文は「過去・現在・未来に住する一切の仏陀達は」と書かれています。「依般若波羅蜜多故」は「般若波羅蜜多と依り所として」という意味です。「阿耨多羅」は「この上無い」という梵語の音写で通常「無上」と意訳されます。「三藐」は前記八正道の「正」と同じ梵語の音写で「完全な」という意味です。「三菩提」は通常「等正覚」と意訳される梵語の音写で「完全なる目覚め」です。完全なる平等は、筏の譬喩で示される「無執着自身にも執着しない無執着」であり、般若波羅蜜多です。
 「阿耨多羅」「三藐」「三菩提」を合わせた全体で「無上正等正覚」と意訳され「この上無い完全な仏陀の平等の覚醒」という意味になります。「得」に対応する原文は「現等覚された」という言葉で「仏陀の智慧に目覚められた」という意味です。過去・現在・未来に住する一切の仏陀達は、般若波羅蜜多を依り所として、この上無い完全な仏陀の平等の智慧に目覚められた。

般若波羅蜜多菩薩

 では「般若波羅蜜多と依り所として」とはどういうことでしょうか。般若波羅蜜多に於ける理想の姿であるところ空性、すなわち五取蘊が空っぽである存在に到達することを目標にヨーガを行じて、その完成に依ってという意味なのですが、さらに具体的にはどうするのでしょうか。ヨーガの実際は、まず長時間精神集中が可能な方法で座り、感情を鎮めるために呼吸を鎮めていきます。そして本尊に心を集中していきます。般若心経でのヨーガの本尊は、般若波羅蜜多に於いて五取蘊という我執が空っぽになった理想の存在です。この本尊の名を般若波羅蜜多菩薩といいます。般若波羅蜜多(プラジニャー・パーラミター)という女性名詞を人格化したのが般若波羅蜜多という名前の女性の菩薩なのです。般若波羅蜜多菩薩は略して般若菩薩ともいい、空性を実体とし、般若の智慧を本質とした菩薩です。
 般若波羅蜜多菩薩は般若仏母とも呼ばれます。多くの仏陀を産んだ母という意味です。般若心経のこの部分でも「過去・現在・未来に住する一切の仏陀達は、般若波羅蜜多を依り所として、この上無い仏陀の智慧に目覚められたのです」と、すべての仏陀が般若波羅蜜多に依って誕生したことが説かれています。

故知般若波羅蜜多、是大神呪、是大明咒、是無上咒、是無等等咒、能除一切苦、真実不虚故

故知般若波羅蜜多、是大神呪、是大明咒、是無上咒、是無等等咒、能除一切苦

般若波羅蜜多菩薩の真言

 「故知般若波羅蜜多 是大神呪」の部分は「故に知られるべきである、般若波羅蜜多の大いなる真言は」という意味です。ここで「大神呪」は「大いなる真言」であり、「神」に相当する言葉は原文にありません。次の「大明呪」は「大いなる明の真言」であり「明」は仏陀の目覚めの智慧を意味します。十二支縁起の「無明」の対極にある「明」の意味です。また「明」には真言の意味もあります。「無上呪」は「この上無い真言」、「無等等呪」は「等しく比べるもの無き真言」という意味です。そしてこの真言は「一切の苦を鎮める」、すなわち五取蘊苦という我執を除くのです。

超えて運ぶ隠喩

では真言とは何でしょうか。真言は秘密(秘密については別記04:梵天勧請参照)の言葉です。言葉の解釈は追体験によります。そして解釈が難しく、深いヨーガによる追体験を要する言葉を秘密といいます。梅干しを食べたことがない人に「梅干しが酸っぱい」を追体験してもらうには、「塩をかけたレモンの如く」のような譬喩を用います。般若心経の真言にある掲諦(ガテー)はガム(行く)という動詞の過去分詞ガタの女性単数呼格です。直訳すれば「往ける一人の女性よ」です。「往ける一人の女性」で何かを指し示しています。これは譬喩です。しかし、「レモンの如く」のような直喩と違って、直ちに譬喩と解る書き方ではありません。このような譬喩は隠喩(メタファー)と呼ばれます。メタ(超えて)ファー(運ぶ)という意味の言葉ですが、般若心経にもそのように書かれています。「遠離一切顛倒」という部分がそうです。ここの原文は「ヴィ」(離れて)「パルヤーサ」(循環すなわち輪廻を)「アティクラーントー」(超越)です。当にメタファー(超えて運ぶ)です。

「我思う、故に我有り」の範疇誤謬

 「秘密(通常の言葉では語り得ないこと)を話さなければならない」という矛盾が梵天勧請(別記04:梵天勧請参照)のテーマでした。このための方便は何があるでしょうか。やはり言葉しかありません。果して言葉は言葉を超えたものを指し示すことが出来るのでしょうか。正にこの目的で隠喩が用いられるのです。隠喩は言葉の意味の範囲を超えて、解釈の対象を指し示します。「隠喩はギルバート・ライルの範疇誤謬に近く、範疇を越え出る為の計算された誤り」とも説明されます(ポール・リクール『生きた隠喩』)。ギルバート・ライルの範疇誤謬はデカルトの「我思う、故に我有り」の論理学的間違いの証明で、お釈迦様の説法と共通するものがあります。ライルもお釈迦様の言葉から学んだ可能性が高いと思います。ライルの範疇誤謬は次のような簡単なお話です。
 初めて総合大学を訪問した人が、いくつかの学部や図書館、運動場、博物館、研究所、管理棟などを案内された後に、「大学はどこにあったのでしょうか?」と質問したという話です。彼は、学部や、学藉登録係の仕事場や、科学者が実験をする建物などは見せてもらったけれども、まだ大学そのものは見せてもらってないと言うのです。図書館、運動場、博物館などの構成要素と、その総体としての大学とは範疇が違うわけです。デカルトも、この訪問者と同じ間違いをしていたのです。そして「色は我であるか? 受は我であるか? 想は我であるか? ・・・」という弟子達への問いかけは、お釈迦様の決まり文句だったのです。
 般若波羅蜜多は彼岸に渡る智慧であり、人々を四苦八苦の此岸から安楽の彼岸へ大河を“超えて運ぶ”筏ですから、これこそ隠喩(超えて運ぶ)の典型ということが出来るでしょう。では般若波羅蜜多の真言に含まれる隠喩は何を指し示しているのでしょうか。掲諦は「往ける一人の女性よ」という呼びかけです。勿論、これは彼岸に往った一人の女性、すなわち般若波羅蜜多菩薩への呼びかけです。般若波羅蜜多菩薩は般若心経におけるヨーガの本尊ですから、その真言も本尊への呼びかけになっているのです。

真実不虚故

正しい行いを導くものが真理

 ここに「真実」という言葉があります。サティアの翻訳で、真理という意味です。苦集滅道の説明に出てきた「諦」と同じ言葉です。お釈迦様の四諦を聞いて理解した人は八正道へと導かれます。正しい行いを導くものこそが真理です。新約聖書ヨハンネスによる福音十八章によると、逮捕されたイエス・キリストはローマの総督ピラトに対して「真理」という言葉を使います。ピラトはイエスに「真理とは何か」と問います。これに対するイエスの答は無記、そこで中断していて記載が無いのです。聖書の別の部分では、ピラトの問にイエスは沈黙していたと書かれています。お釈迦様は釈迦牟尼(牟尼=沈黙)と呼ばれました。戯論を話すことなく、苦の滅尽に導く言葉だけを話されたのです。
 お釈迦様の沈黙に関して十四無記が有名です。次のような十四の事柄について沈黙されたといいます。時間は無限か、有限か、無限かつ有限か、無限でもなく有限でもないか、空間は無限か、有限か、無限かつ有限か、無限でもなく有限でもないか、身体と霊魂とは同一か、異なるか、仏陀は死後も存在するか、存在しないか、存在しかつ存在しないか、存在するのでもなく存在しないのでもないのか。

戯論の消滅

 お釈迦様は弟子の鬘童子に「毒矢の喩え」を話されました。毒矢に射られた人が、射た者の家柄、姓名、身長、皮膚の色、そして弓について、弦について、矢について、等が解るまで毒矢を抜いてはならないと言っていたら、議論している間に生命が尽きてしまう。この「毒矢の喩え」は「我執という毒矢を抜く治療こそが必要なのだ」ということを指し示しています。
 その様な意味で「不虚」もまた、毒矢を抜く治療に役立つという意味を含んでいます。「虚構無きこと」という意味なのですが、この言葉に実は不明確なところがあります。それは格語尾「て・に・お・は」の問題です。玄奘訳では「真実不虚故。説般若波羅蜜多咒」ですが、法月訳や般若訳では「真実不虚。故説般若波羅蜜多咒」と区切られています。梵文には「故」に相当する文字がありません。漢訳に「故」があるので、法隆寺梵本でヴァークとなっている語尾が奪格のヴァートの間違いであろうと(一八八四年にマックス・ミュラー博士によって)校訂されたようです。そのように変更すると「不虚であるから真実である」という意味になります。弘法大師は「真実不虚」で区切っています。私も「故」にこだわらず「真実不虚」で区切って、前の文「能除一切苦」の続きと考えたいと思います。「一切の苦を除く、真実不虚妄である」です。

説般若波羅蜜多咒 即説咒曰 羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提 薩婆訶 般若心経

説般若波羅蜜多咒 即説咒曰 羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提 薩婆訶 般若心経

般若菩薩の心真言

 「説般若波羅蜜多咒 即説咒曰」の部分の原文で「般若波羅蜜多に於いて(処格)」は「般若波羅蜜多菩薩について」という意味でもあります。「般若波羅蜜多菩薩について心真言が次のように説かれた」です。
 その心真言は「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提 薩婆訶」です。「羯諦」は「ガテー」の音写で、前記のように「往った一人の女性よ」という般若波羅蜜多菩薩への呼びかけです。「波羅」は「パーラ」で「彼の所へ」という意味です。勿論「彼岸へ」と解釈されます。「僧」は「三菩提」の「三」と同じ接頭語の音写で「完全」という意味です。だから「波羅羯諦」「波羅僧羯諦」で「彼岸に往った一人の女性よ」「完全に彼岸に渡った女性よ」という呼びかけ、いずれも般若波羅蜜多菩薩への呼びかけなのです。理想の空性を実体とする般若波羅蜜多菩薩を本尊として、その心真言を唱えて心の中へ般若波羅蜜多菩薩をお迎えし、そして般若波羅蜜多菩薩への精神集中を深めて、心の中で般若波羅蜜多菩薩のみ光り輝き、我という執着である五取蘊が空っぽになった状態が、「菩提」すなわち「目覚め」です。「薩婆訶」は「吉祥」の意味の感嘆語です。
 最後の「般若心経」の原文は「これで般若波羅蜜多の心臓を終わる」と直訳されます。勿論この意味は「これで般若波羅蜜多菩薩の心真言を終わる」という意味です。

大本テキスト「流通分」について

大本テキストでは「ここに般若波羅蜜多の心真言を終わる」の前に流通分があります。施護三蔵訳『佛説聖佛母般若波羅蜜多經』の文を以下に示します。

舍利子。諸菩薩摩訶薩。若能誦是般若波羅蜜多明句。是即修學甚深般若波羅蜜多。
爾時世尊。從三摩地安詳而起。讃觀自在菩薩摩訶薩言。善哉善哉。善男子。如汝所説。 如是如是。般若波羅蜜多。當如是學。是即眞實最上究竟。一切如來亦皆隨喜。 佛説此經已。觀自在菩薩摩訶薩。并諸苾芻。乃至世間天人阿修羅乾闥婆等。 一切大衆。聞佛所説皆大歡喜。信受奉行。
佛説聖佛母般若波羅蜜多經。

 般若心経の真言に続いて観自在菩薩が「舍利子よ、深い般若波羅蜜多での行に於いては、このように菩薩によって学ばれるべきなのです」と追加されました。この部分の施護訳は「この般若波羅蜜多の明句(真言)を能く誦えることが、すなわち般若波羅蜜多における修学なのです」と説明しています。
 実にその時、世尊がヨーガから起きて観自在菩薩に称讃を贈りました。「善哉、善哉、在家の青年よ、是の如し、在家の青年よ。深般若波羅蜜多に於いては、是の如くに行ぜられるべきなのです。貴方の所説の如くを如来阿羅漢達は喜び受け入れるでしょう。」 そして衆会(しゅえ)の全員が世尊の言葉に歓喜して経が終わります。最後の文の施護訳が「佛説聖佛母般若波羅蜜多經」であることからも「般若波羅蜜多」が仏母般若波羅蜜多菩薩の意味であることが解ります。


般若心経現代語訳

                    西明寺住職 田中雅博訳

大般若波羅蜜多菩薩(苦しみの此岸から安楽の彼岸に渡る筏の譬喩で示された「智慧の完成」という名の理想の女性)に心を集中する仏教瞑想の際に唱える真言を仏陀(完全なる智慧の覚醒者)が説いた書物

 観自在菩薩(観ることが自在という名の修行者)が、そのような精神集中を行って、安楽の彼岸に到達した如くの智慧が完成した状態に於いて、自己自身を観た。お釈迦様は一切の苦しみを五取蘊苦(四苦八苦の第八番目の苦)に纏められた。五取蘊苦は、自分という幹から出た五つの枝としての自己執着であった。そして、観自在菩薩は、智慧が完成した状態に於いて、これら五つの自己執着が皆空っぽであることを観察した。一切の苦を纏めた五つの自己執着が空っぽになったということは、四苦八苦の此岸から安楽の彼岸に渡ったことになる。
 舍利子(シャーリの子という名の修行者)よ、ここ、智慧が完成した彼岸に於いては、五つの自己執着の一番目であるところの、この身体が我であり我がものであるという執着は、そのような執着がすべて空っぽになった理想の女性に合致した唯識の状態にあり、自己執着が空っぽになった理想の存在こそが、ここでの自分の身体という執着、すなわち無執着の状態なのである。我の身体という自己執着の状態は、智慧が完成した状態に於いては、あらゆる執着が空っぽの理想の女性と異なることはなく、自己執着が空っぽの理想の女性と、自分の身体が我がものであるという執着が無い状態に異なることはない。五取蘊の残り四つの枝であるところの、自分の感覚、表象、意思、および意識という執着も同様に空っぽになった状態である。
 舍利子よ、ここ、智慧が完成した彼岸に於いては、一切の要素は、あらゆる執着が空っぽの理想の女性と同じ姿であり、生ずることもなく、滅することもなく、汚れることもなく、汚れを離れることもなく、損減することもなく、円満することもない。  この故に舎利子よ、自己執着が空っぽになった理想の状態に於いては、私の身体という執着は無く、感覚、表象、意思、および意識という執着も無く、私の眼、耳、鼻、舌、身、意の各能力という執着も無く、これらの対象としての色、声、香、味、触、法という執着も無く、各能力と対象の組み合わせから生ずる六種の認識という執着も無い。
 彼岸に於いては、筏を捨てるという喩えの如く、筏に譬えられた仏教という執着もないから、お釈迦様が完全なる覚醒者となられたときに覚られた苦しみが生滅する十二の因縁という執着も無く、そして説法された四つの真理さえにも執着が無い。同様に主観として知る智慧という執着も無く、客観として得る智慧という執着もない。
 この故に執着の縄は解き放たれ、完全なる覚醒を求めて修行している者達にとって、般若波羅蜜多菩薩を依所とすれば、心は自由自在となる。心が自由自在な存在だから、恐れが無く、生死の循環を離れ、大河を越えて涅槃の彼岸に渡る。過去現在未来の一切の完全なる覚醒者達は、般若波羅蜜多菩薩を依り所として、この上ない完全なる覚醒に目覚められた。故に知られるべきである、般若波羅蜜多菩薩の大いなる真言は、大いなる真理の真言、この上ない真言、比べるものない真言であり、一切の苦を除く、真実不虚妄である。般若波羅蜜多菩薩について、真言が次のように説かれた。

   行った女性よ 行った女性よ 彼の岸に行った女性よ
   完全に彼の岸に行った女性よ 仏陀としての覚醒 幸あれ

 これで般若波羅蜜多菩薩の真言を説き終わる。