ちびっこ問答

お釈迦(しゃか)様が霊鷲山(りょうじゅせん)で説法したことが、仏教と山との関わりの始まりです。
しかし精舎(中国で寺と呼ばれるようになった)は「町から近からず遠からず」という場所に建てられました。
中国では、寺は町の中か山に作られました。
日本でも中国にならって町か山に作られましたが、多くの僧侶が霊山で修行し霊山に寺を建てたのです。

お寺は仏教、神社は神道です。
仏教は、主にアジア全域に広まった地球規模の宗教です。
神道は、日本という地域の宗教です。日本では、お寺と神社は仲良く一緒にありました。
しかし、明治維新で分けられてしまったのです。

魚はいつも眼を開けていて、眠らないと思われていました。
おきょうはブッダの教えです。そしてブッダは「目覚めた人」という意味です。
「眼を開けている」木魚(もくぎょ)をたたいて「目覚めた人」の言葉を唱えるのでしょう。
木魚が使われるようになったのは比較的新しい時代だそうです。西明寺には、古いお寺のせいか、木魚がありません。

お経はブッダ(目覚めた人)の教えです。
欲張りの眠りから目覚めた人は、けっして怒らず、いつも微笑を浮かべて、苦しんでいる他人を助けるようになります。
そのような人になる教えが、お経に書いてあります。

お釈迦様にならって髪の毛をみじかくするのです。
お釈迦様は、当時もっとも恥ずかしいこととされていた「髪の毛を切る」ということをしました。
他人を差別しない人になるために、自分というこだわりを無くしたのです。

おぼんは、インドで雨期(日本では梅雨)が明けて、坊さん達が精舎から出ていく日でした。
日本でも、おぼんには、坊さん達が寺を出て、信者さんの家に行って、おきょうをあげます。
良いことをすると楽になり、悪いことをすると苦しみます。
すでに亡くなった人は、もうこの世で良いことができないので、かわりに親族が良い人になるためにブッダを供養するのです。

「わが子のためなら地獄まで」というのが普通の人です。
お地蔵さんは「他人のためなら地獄まで」というまれな人、お坊さんの理想の姿です。
そして、苦しむ人に「笑い」の贈り物をします。亡くなる命は、お金では買えません。

弘法大師は若いとき「ホタルの光・窓の雪」などのたとえよりも、さらに勉強をしたと書いています。
わたしも子供のころ「お坊さんになるにはどうしたらいいの」と父に聞いたら、「なんでもいいから好きなことを勉強して、その分野で成功しなさい」といわれました。
しかりと勉強し、その後で仏教の勉強と修行をするのが良いでしょう。

2千5百年くらい前に、ネパールとインドの境目あたりで、裕福な釈迦族の王子として生まれました。
お産の後で母親は亡くなりましたが、それ以外は何不自由なく育ち、結婚し、子供もできました。
しかし、人は皆、年老いて病気になって死ぬ、という現実に悩んで城を出ました。
数年間の修行の後、自分という迷いの苦しみから目覚めて、他人を自分と差別しないブッダになりました。

お釈迦様が、他の宗教をもつ人々とその宗教を尊重した、という話で始まる有名なおきょう(涅槃経)があります。
自分こそ正しい、と言わないのが仏教です。あらゆる宗教を、仏教自身と差別することなく尊重します。
宗教を理由とした戦争(宗教戦争)が無いのが仏教文化の特徴なのです。
わたしもキリスト教がきらいではありません。ローマ教皇庁の医療会議に4回も招待して頂きました。
それに、イエス樣もクリスマスではなく、お釈迦様と同じ春に生まれたのですよ。

学校で理科、算数、国語、社会など違った科目を勉強するように、お寺で華厳宗、法相宗、三論宗などの宗派を学んだのが始まりです。
嵯峨天皇が、いわば公立の学校にあたる東寺を、弘法大師の真言宗だけの専用にしてしまいました。
これ以後、だんだんにお寺が宗派に分かれていきました。