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期末試験、解答と解説

2014.1.26 11:13その他

一昨日、大学で期末試験を行ったのですが、講義最終日だったので学生に「解答と解説はブログに書く」と話しました。以下は、その内容です。
試験問題は以下の10問です。
下記について短い文で説明してください。

問1.認知症とは何か

[答]一度得た知的能力が失われ、社会生活に支障をきたす病気

[解説]dementia (de=奪 mentia=精神)という病気です。記憶障害、見当識障害、失行、失認、失語、人格障害などの症状で始まる器質的脳疾患の総称で、アルツハイマー病、レビー小体病、ピック病などがあります。認知症は病気であって、結晶性知能(過去に習得した知識や経験から物事に対処する知的能力)は正常な老化では失われません。

問2.非科学と人文学

[答]反証不可能な領域が非科学、この領域で選ばれた古典を研究するのが人文学

[解説]反証可能性が科学の条件で、実験と観測というテストで間違いを捨てていく世界規模のあら探しです。反証不可能な領域(非科学)では長い年月の間に良いものが選ばれて古典となります。古典を研究して如何に生きるか考えたのが人文学(ヒューマニズム)の原義です。次の問の般若心経は、そのようにして選ばれた古典の代表です。

問3.五取蘊苦と般若心経

[答]お釈迦様が総ての苦を纏めた五取蘊という我執、これが空っぽになる般若心経

[解説]お釈迦様が四苦八苦を総じた第八の苦が五取蘊で、我という執着の幹から出た五つの枝(色受想行識)です。般若心経の五蘊皆空は、これらの執着が空(からっぽ)になることです。我という存在に執着する苦(スピリチュアル・ペイン)の治療(ケア)そのものです。

問4.筏の譬喩

[答]筏は仏教を指し示す隠喩、我に執着しない仏教は仏教自身に執着しない

[解説]お釈迦様が無執着の教え(仏教)を示すために用いた譬喩、四苦八苦の此岸から涅槃の彼岸に筏で渡り、渡ったら筏は捨てられます。無執着に執着していては真の無執着とは言えません。般若心経でも般若波羅蜜多(到彼岸)において仏が説いた法(苦集滅道)も捨てられます(無苦集滅道)。

問5.人体実験(ヒトを対象とした医学研究)の必要性と 「ヘルシンキ宣言」

[答]ヒトに関する科学はヒトでの実験が不可欠、ヘルシンキ宣言はその倫理規定

[解説]例えば、人類の歴史を大きく変えてきた天然痘、有効な手段として古くから東洋で行われてきた予防接種(種痘)は薬害が酷かった。ジェンナーが乳搾りの娘から聞いて行った人体実験は成功して種痘の薬害を無くし人類を救う結果となりましたが、倫理的には許されません。彼は召使いとして雇っていた孤児(ジェームス・フィップス)に死亡率数割の天然痘を感染させたのです。ヒトを対象とした医学研究の倫理原則としてヘルシンキ宣言には、社会の利益よりも被験者の利益を優先する、情報を知らされた上での被験者の自己決定権を尊重する、等が宣言されており、最新版は昨年十月に改訂されています。

問6.喫煙と自己決定権

[答]他者危害の原則に反するので、喫煙に自己決定権は無い

[解説]J.S.ミルは『自由論』でソクラテスの裁判を例にあげ、多数決が必ずしも良くないことを示した。プライバシーの権利として「判断能力のある成人は、自己に関する限り、他者に危害を加えない限り(他者危害の原則)、例え自己が不利益を被る選択であっても(愚行権)、自己決定権を有するとしました。喫煙は愚行権としては認められても、他者危害の原則に反するので、自己決定権は認められません。

問7.死の三徴候(心臓拍動停止・呼吸停止・瞳孔の対光反射消失)があり、かつ これらがどのような場合に「死」と判定されるのか?

[答]死の三徴候が不可逆の場合に死と判定される

[解説]死の三徴候が不可逆かどうかは蘇生術を行ってみなければ分かりません。心臓拍動停止から一分毎に一割救命率が下がるので、近くにいた人(バイスタンダー)によって直ちに一次救命処置(誰でもできる薬を使わない蘇生術)が開始される必要があります。呼吸心拍停止を確認して一次救命処置をせずに死亡と判断するような場面を映画やテレビドラマでみかけますが、これは社会に悪影響を与えています。次の問のAEDの使用は一次救命処置に含まれます。

問8.自動体外式除細動器(AED)

[答]心室細動を解除して心臓を拡張させ、心臓マッサージを補助する機械

[解説]心臓は血液を送り出すポンプです。心室細動という心臓が収縮したまま止まっている状態では心臓マッサージが有効ではありません。AEDは心室細動の有無を自動的に判断して解除する機械です。バイスタンダーによる使用が認められています。

問9.脳死判定の意味(脳死と判定されたということは どうなったということか)

[答]蘇生限界点を越えてしまって、蘇れないという判定

[解説]一次救命処置を続けて医療チームに引き継ぐと、薬物・補液・気管内挿管・人工呼吸器等の二次救命処置が行われます。それで蘇生できた場合にはよいのですが、病状が悪ければ再び下り坂になって蘇生不可能な状態になります。脳死判定基準は、そのような蘇生限界点(ポイント・オブ・ノーリターン)を越えたかどうかを診断するための基準です。日本書紀に泉之竈食(よもつへぐい)の話があります。黄泉の国に逝ったイザナミはイザナギに、既に泉之竈食をしたから黄泉帰(蘇)れないと答えます。昔から、黄泉帰(蘇)れないということが死んだということなのです。既に泉之竈食をしたかどうかの判定、蘇生限界点を越えたかどうかの判定、これが脳死判定です。

問10.緩和ケア

[答]死に至る病で苦しむ患者とその家族の生存の質(QOL)を高める方便

[解説]日本では緩和ケアを単なる身体的苦痛緩和と誤解される傾向があるが、鎮痛等は緩和ケアの前座にすぎず、真打はスピリチュアル・ケア、すなわち「死ぬ」という苦の治療です。WHOでは緩和ケアを「身体的、心理的、そしてにスピリチュアルな苦痛の予防および緩和」であり、「死に至る病で苦しむ患者と家族のQOL(生存の質)を改善するアプローチ(方便)」と定義しています。アプローチは近づくことであり、方便と漢訳されたウパーヤです。死に至る病の過程で、他の動物とは違う人間独自の苦があります。「死ぬ」という、自己存在の喪失に関わる苦であり、これがスピリチュアル・ペインです。身体の痛みが強いと、痛みに耐えているだけで他に余裕が無く、スピリチュアル・ペインは隠れています。しかしオピオイド(麻薬)の適切な使用等で身体の痛みが無くなるとスピリチュアル・ペインが強く現れてきます。自分の命を超えた価値あるものがあったなら、それがその人の宗教といえます。「死ぬという苦」の緩和に役立つものこそが宗教なのです。しかし、現在日本では人が死ぬ現場の大部分で宗教家が不在です。WHOが認める世界最高の日本医療、唯一の欠陥は僧侶不在なのです。仏教は、その誕生時からスピリチュアル・ケアでした。釈尊は老人と病人と死人をみて出家した。そして六、七年の後、迷苦から覚醒して仏陀となり、四諦を説かれた。四諦の苦・集・滅・道は、それぞれ病気・病因・治癒・治療に対応しています。病気は四苦八苦であり、ここで苦は「思い通りにならない」という意味です。四苦八苦は第八の苦である五取蘊苦に総括されます。色、受、想、行、識という五取蘊は「我という執着」の幹からでた五つの枝であり、この五取蘊苦こそがスピリチュアル・ペインです。集諦は「欲愛・有愛・無有愛の如くの渇愛」と説かれました。「思い通りにしたい」という渇愛から「思い通りにならない」という苦が生ずる。生殖・生存・死への渇愛が苦の根本原因です。これら生殖・生存・死の三つは現代生物学で生命の三要素です。人間の設計図である遺伝子に生殖・生存・死の渇愛が書かれているのでしょう。遺伝子の支配(輪廻)から解脱して渇愛の制御(涅槃)ができたなら苦は消滅する。この涅槃が治癒すなわち滅諦です。道諦という治療法は八正道で、ここで「正」と漢訳された元の言葉は「完全に」という意味です。「完全に渇愛を制御して生きる道」です。「我という執着」が完全に無くなった状態を釈尊は「筏の譬喩」で示された。苦の此岸から楽の彼岸に渡ったら筏を捨てる。ここで「筏」は隠喩(メタファー)であり仏教を指し示しています。まさにメタ(超えて)ファー(運ぶ)であり、仏教は人々を楽の彼岸に運ぶ筏です。そして筏は捨てられる。仏教は仏教自身に執着しない。執着しないという教義にも執着しない。このような智慧(般若)の完成(波羅蜜多)は到彼岸と詩的に漢訳され、『般若心経』の有名な「五蘊皆空」へと続きます。釈尊が四苦八苦を総じた五取蘊苦(スピリチュアル・ペイン)が空虚となる、すなわちスピリチュアル・ケアです。